毎日疲労 田舎のJ( 'ー`)し

過疎地域でギリギリライフを送るシングルマザーの田舎暮らしと備忘録

田舎暮らしの経緯2

8月半ばに内見を済ませた後、私は役所の人に呼び出しを食らった。

別に悪いことをしたわけではない。

ただ地域が地域だったので、シングルマザーとはいえ移住すれば貴重な住民。

一人とはいえ子供がいる。

今なら心で理解しているが、超高齢社会の限界集落にとって子供がいるとは本当に貴重なことらしい。

学校存続に関わる上、学校が無くなれば移住者も一気にリタイア世代ばかりとなりいよいよ地域が立ち行かなくなるのだ。

つまりせっかくの若い世代がいる移住者、早々に出て行かれては困る。といった不安があったらしい。

そんなに需要があるのは喜ばしいことだ、ラッキーラッキー。


役所と都合を合わせ、私は移住事業担当の職員と、この地域の連合町内会長との三者面談をすることになった。

内心は非常に面倒だった。

私は確かにこの地域が好きで小さな頃から連れてきてもらってはいたが、当時は田舎暮らしへの夢や希望なんてものは何一つ持っていなかった。

ただお金も職もなく人との関係に疲れ切ってきた私は「静かにひっそり生きてぇ。子が伸び伸び育てばあとは何だってええんやこちとら」と、若干荒んだ心境のまま臨んだ三者面談であったが、まあなんて事なく。

あっけないほど恙なく進んだ。


連合町内会長とは今も会えば軽い感じで話せる仲だが、彼は初め三年程冷や冷やしていたそうだ。

面談の時にも言われたが、やはり田舎暮らしの理想と現実というものは激しいらしく、三年持てばかなり良いほう。

来て一年未満で周りへの挨拶も無くいつの間にか夜逃げのように地域から出て行ってしまう。そんな話を聞かされた。

実際私の後にこの地域にやってきた人は15名程いたが、現在も残っているのは5人だ。

本当に夜逃げした人も何人かいた。

まあ一言で言えば「さもありなん」だったが。


私も正直なところビビってはいた。

意地悪だったり排他的な人がいたらそりゃ無理だ。

私は自信を持って人の悪意にめっぽう弱い朧豆腐メンタルの持ち主であるといえる。

適応力のあるものの基本的にネガティブ人間だし、完全なるインドア派。

それで済むのなら玄関から極力出たくないし、買い物もカラオケも食事も全部一人がいい偏屈者だ。

ただ自分は近所付き合いや町内会の活動など得意なほうで、小さな頃から何かとドブ攫いや防災活動にも(年頃だったので嫌々ではあったものの)何だかんだ参加してきたタイプだった。

そのため連合町内会長が危惧していた「地域の一員として地域の活動に参加できるか」という条件は幸いにも私にとってそうハードルの高いことではなかった。

ありがとう、じいちゃんばあちゃんかーちゃん。

社交性を育ててくれた家族に感謝しつつ、まあ何とかなるだろうダメならダメでまた考えようという県民性が困った方へ出てしまった。


何とかなるさ、多分。

悩みも問題も山積みだけど開き直った私は連合町内会長に「最低五年はしがみつきますぅ」と笑顔で答えた。

何故最低5年かと言えば、補助金が出るからだ。

我ながらこっすい奴だが、貰えるものは欲しいしありがたい。

こうして面談も無事に終わり、職探しと引越し手続きに入ることとなった。