毎日疲労 田舎のJ( 'ー`)し

過疎地域でギリギリライフを送るシングルマザーの田舎暮らしと備忘録

お金のことと今年の目標

約8年前。
とにかく引っ越したばかりのこの時はお金が無かったのを覚えている。
また古い通帳が見つかったら公開するが、この時は本当に本気でお金が無かった。
元夫は離婚した年の秋になったら払うと言っていたが、結局離婚してから7年経つ今のところビタ一文払わない挙句に再婚して子供がいることまで知っている。
こンの野郎といまだに心底思ってはいるが、弁護士に頼むお金も暇も無い。
いや本当はあるにはあるが、いろいろかなぐり捨てて良いお金ではないので我慢している。
正直いつか復讐してやりたいが、それはおそらく時間とお金に余裕のある人がするものだろう。
残念ながらジョン・●ィックではない私は私が幸せになることでしか復讐は出来ないのである、今のところ。
でもいつか絶対キャン言わせる。


復讐心に燃えていても相変わらずお金は無い。
今現在の一ヶ月の収入の内訳としてはこんな感じ。


・パート代・・・約12,0000円
・母子助成金・・・4,0000円


の計160,000円
パート代は多少上下があるけれど大まかにはこんな感じ。


そこからひと月ごとの出て行くお金は
・家賃10,000円
・生命保険料(私と娘二人合わせて)約19,000円弱
・町内会費2,100円(水道代込み)
・PTA会費7,400円弱
・電気代5,000円
(電気代はちまちまちまちま消したり抜いたりをしているので、またエアコンがないので月に5,000円行きませんが、とりあえず5,000円にしておきます)
・ガス代10,000円
(結構かかります、夏場はともかく冬場は10,000円行きそう…なところ)
・携帯電話(私と娘のキッズ携帯合わせて)15,000円変動ある
・ガソリン代及びメンテ費10,000円
(オイル交換やタイヤに履き替えがあると高くなるがそれらは今の会社で安くやって貰えるのと、ガソリン代として月に16,000円弱貰っているが上記のパート代に含まれており、今月は10,000円弱)
・車の保険料5,200円
・Wi-Fi5,500円弱。
ここら辺が大まかな固定費ですかね。


合計89,200円


固定費だけで半分以上持ってかれてるので恐ろしい。
そしてここに猫二匹の諸経費と人間の食費や雑費などを含めると、毎月ぎり黒字くらい。
とりあえず赤字にはなってない…なってない…









ほーら把握してない。


家計簿をつけていないツケがここにきて出てきました。
そう、はちゃめちゃにズボラ人間、とういうより発達障害グレーソーンの私は本当に家系管理が苦手で苦手で、言い訳するな、私は人間としてやばい。
見せられないほど家の中もやばい、しっちゃかめっちゃか。


だって見てくださいよ、勇んで始めたブログを「古い通帳見当たらないなぁ(´・ω・`)」という理由でいきなり5ヶ月放置した人間ですよ。クズです。
自覚はあれどもなかなか直せないし治らないのでついに友人のお母さんに泣きつきました。


そう、友人のお母さんはFPさん。
それも一級。
今は独立してますが元々は生命保険会社に勤めており、私の保険もお世話になった方。
しかも全くの偶然だったが両親の保険も担当してくれていた。
私が前職場で社畜をしていた時に「担当外れちゃう、ごめんね!退職して独立すんの!J( 'ー`)しならタダでライフプラン見るからなんかあったら相談してね!!」
と言ってくれたのでこの度お言葉に甘えて来月末にダメ出しをして貰いに行ってきます。


2024年、今年で私は35歳になりますが今年をもってこれから先の生活と人生をどうするかを真面目に考えて生きねばならないと思いました。
NISAやりたいけどよくわからないしなぁ〜なんて言ってる間に新NISAも始まり、このまま分からないことを分からないままにしておけばきっと私はまた自分から行動しなかったくせに後悔するので。


今年の目標は変身です。

仕事について

生きる上では仕事に就いてお金を稼がねばならない。
この過疎地域で困るものの一つは職だと思う。


この地域は主に土木関連の会社と、温泉が湧くため旅館や民宿など、僅かとはいえ観光業で成り立っているためわざわざ山を降りずとも私でも出来そうな仕事はあったが、やはりというべきか仕事の種類も条件や待遇は街と比べれば微妙、いやはっきり言って悪い。
または私に技術や知識や免許があれば、あるいは男であったら、そうでなくともパワーがあれば土木作業員として。
もしくはその会社の経理などを目指せたかもしれないが、残念ながら知識も免許もパワーもスタミナも無い。
それでも長い時間をかけての通勤を考えればプラマイゼロといったところだろう。


私は物件の手続きと並行をして、地域唯一の日帰り温泉施設に連絡を取った。
運よく施設のマネージャーを務める男性が応対してくれ、職を探していること、数ヶ月後にそちらの地域に移住すること、シングルマザーなこと。
この三点を相談した。
するとありがたいことにこの地域は万年人不足だからと快く面接をしてくれることを約束してくれた。
このマネージャー、本当に心の拠り所になるような優しい方で、今思い返してもつくづく私は人に恵まれたと思っている。
好好爺と辞書で引いたらおそらくこの人が出てくるだろうというくらいとてもお世話になっている。


やらなければならないことは山積みだったが、とりあえず生活基盤を整えることは地道に進めていった。

田舎暮らしの経緯2

8月半ばに内見を済ませた後、私は役所の人に呼び出しを食らった。

別に悪いことをしたわけではない。

ただ地域が地域だったので、シングルマザーとはいえ移住すれば貴重な住民。

一人とはいえ子供がいる。

今なら心で理解しているが、超高齢社会の限界集落にとって子供がいるとは本当に貴重なことらしい。

学校存続に関わる上、学校が無くなれば移住者も一気にリタイア世代ばかりとなりいよいよ地域が立ち行かなくなるのだ。

つまりせっかくの若い世代がいる移住者、早々に出て行かれては困る。といった不安があったらしい。

そんなに需要があるのは喜ばしいことだ、ラッキーラッキー。


役所と都合を合わせ、私は移住事業担当の職員と、この地域の連合町内会長との三者面談をすることになった。

内心は非常に面倒だった。

私は確かにこの地域が好きで小さな頃から連れてきてもらってはいたが、当時は田舎暮らしへの夢や希望なんてものは何一つ持っていなかった。

ただお金も職もなく人との関係に疲れ切ってきた私は「静かにひっそり生きてぇ。子が伸び伸び育てばあとは何だってええんやこちとら」と、若干荒んだ心境のまま臨んだ三者面談であったが、まあなんて事なく。

あっけないほど恙なく進んだ。


連合町内会長とは今も会えば軽い感じで話せる仲だが、彼は初め三年程冷や冷やしていたそうだ。

面談の時にも言われたが、やはり田舎暮らしの理想と現実というものは激しいらしく、三年持てばかなり良いほう。

来て一年未満で周りへの挨拶も無くいつの間にか夜逃げのように地域から出て行ってしまう。そんな話を聞かされた。

実際私の後にこの地域にやってきた人は15名程いたが、現在も残っているのは5人だ。

本当に夜逃げした人も何人かいた。

まあ一言で言えば「さもありなん」だったが。


私も正直なところビビってはいた。

意地悪だったり排他的な人がいたらそりゃ無理だ。

私は自信を持って人の悪意にめっぽう弱い朧豆腐メンタルの持ち主であるといえる。

適応力のあるものの基本的にネガティブ人間だし、完全なるインドア派。

それで済むのなら玄関から極力出たくないし、買い物もカラオケも食事も全部一人がいい偏屈者だ。

ただ自分は近所付き合いや町内会の活動など得意なほうで、小さな頃から何かとドブ攫いや防災活動にも(年頃だったので嫌々ではあったものの)何だかんだ参加してきたタイプだった。

そのため連合町内会長が危惧していた「地域の一員として地域の活動に参加できるか」という条件は幸いにも私にとってそうハードルの高いことではなかった。

ありがとう、じいちゃんばあちゃんかーちゃん。

社交性を育ててくれた家族に感謝しつつ、まあ何とかなるだろうダメならダメでまた考えようという県民性が困った方へ出てしまった。


何とかなるさ、多分。

悩みも問題も山積みだけど開き直った私は連合町内会長に「最低五年はしがみつきますぅ」と笑顔で答えた。

何故最低5年かと言えば、補助金が出るからだ。

我ながらこっすい奴だが、貰えるものは欲しいしありがたい。

こうして面談も無事に終わり、職探しと引越し手続きに入ることとなった。